
尾崎豊の命日は4月25日。
今年で15年。
いろいろ書こうと思ったが思うように書けなかったので短くまとめる。
尾崎豊の曲をはじめてきいたのは13か14の時。
先輩が高校の学園祭で「17歳の地図」をBANDでやった。
それがきっかけで尾崎豊の1stアルバムをききかじった。
俺が14歳の春、中学三年の春、尾崎豊は他界した。
尾崎豊に何かしら影響を受けたか?
NOといえば嘘になる。
確実に尾崎豊のメッセージは響いていたし、届いていた。
俺が15歳になってから初めて、親の目を盗んで夜中にこっそり抜け出して遊びにいったときの、あの爽快感と反抗心といっちょまえなオトナ気分を味あわせてくれた俺にとっての15の夜を体現できたのも、尾崎豊がいたからこそ。盗んだ原チャリで走り出していたのは尾崎豊とは関係なかったし、夜の校舎窓ガラス壊してまわったのも尾崎豊とは関係がなかった。ただ、15歳の時に初めて夜中の街を見た時、頭の中で「15の夜」が流れていたことだけは確かだ。
正直、俺は尾崎豊の曲を30曲も知らない。20曲も知らないかも知れない。
でも受けた影響ははかりしれない。
一時期の俺の人生観を培ったといっても過言ではない。
「電車の中押し合う人の背中に/いくつものドラマを感じて
親の背中にひたむきさを感じて/この頃ふと涙こぼした」
このフレーズを歌う10代。
この意味がわかる10代はいたのだろうか。
「ダンスホール」
あの全編にわたる情景が浮かぶほどの描写。
17歳の少年がオーディションにもってくる歌ではないだろう。
ハンパナイ。やばすぎ。深すぎ。
あげたらキリがないのでやめてこう。
「代弁者」という言葉は尾崎豊の曲の中で初めて知った言葉だが、
尾崎豊は、代弁者だったのだと思う。
かよわきオトナではなく、かよわきコヒツジの、代弁者。
今、「代弁者」たる存在は皆無だ。
その件はいずれまた。
今日だけはたっぷり尾崎豊を聞こうと思うんだ。
26歳の春に他界って・・・はやすぎだよね。
あと何度、自分自身、卒業すれば
本当の自分にたどり着けるだーろー?
俺が俺であるために、頑張ります ちぃっすっ!
R・I・P YUTAKA OZAKI